治療に対する院長の思い
私は、1991年に医師になりました。その時は、研修医として大学病院に勤務していましたが、大学病院で経験する関節リウマチの患者様は、年齢がお若くとも関節破壊が進行し、手術でしか関節機能を改善することができませんでした。
薬物治療も、その当時は消炎鎮痛剤(いわゆる痛み止め)で疼痛を緩和し、副腎皮質ホルモン剤(ステロイド剤)で関節の腫脹を軽減させることが主目的で、リウマチの病勢をコントロールすることは困難でした。
抗リウマチ薬もありましたが、あまり効果があった印象はなく、経年的に変形が進み、関節機能が制限されたものを、機能改善を目的に、整形外科医として、人工関節手術を行っていましたが、関節リウマチの病勢が十分コントロールされていないため、後年、また再手術を行うこともありました。
大学病院では、指導医の先生から、「患者様の気持ちに立った治療を心がけるように。整形外科医はリハビリの指示を出しっぱなしではいけない。必ず現場に行くように」といわれました。それを、研修先の病院では、必ず実践するよう努めてきたつもりです。
そのころの、関節リウマチに対する印象は、「特効薬はなく、病気の進行を遅らせる対症療法しかない。関節が動かなくなったら手術を考える。ただ壮年期に手術を行うので、再手術は必発」といった感じでした。
次に勤務した病院では、主に外傷を中心に研修させていただきましたが、関節リウマチの患者様はかなり進行した方が多く、消炎鎮痛剤・ステロイド剤の投与と関節注射で加療していましたが、3年間の勤務中に徐々に病状が進んできている患者様に何もできていない自分に歯がゆい思いをしていました。次に勤務した病院でも治療法に大きな変化は見られませんでした。
しかし、その頃、松山赤十字病院では、関節リウマチの患者様に積極的に、メソトレキサートを使用し始めており、その治療効果に驚いてはいたものの、それを導入するという考えには至っていませんでした。その頃、私を指導していただいた先生からは、「リウマチ患者さんの痛みは、自分たちには想像つかない痛みであるので、そのことを十分に考えて治療法を選択し、コメディカルに介助法を指示し、全員が治療に参加するように」という言葉をいただきました。
1998年から当院で勤務するようになりましたが、今まで勤務したどの病院よりも関節リウマチ患者様が多く、しかし、治療は今までの治療法を脱しておらず、投薬加療と関節注射が中心で、進行した関節リウマチ患者様に対しては、当院で手術(人工関節置換術)を行い、関節機能の改善を図るものでした。
その頃(1999年)、関節リウマチに対し、メソトレキサート(リウマトレックス)の使用が認可されましたが、副作用を危惧して、なかなか使用に踏み切れない状態でした。以前から、患者様の病状が進行していくことに対し、無力感を感じていたので、いろいろな講演会や勉強会に参加して知識を増やし、実際にリウマトレックスを使用している先生に教えを乞いながら、当院でも少しずつリウマトレックスを使用して、その治療効果を実感していました。
また、2003年に発売された生物学的製剤レミケード、2005年に発売された生物学的製剤エンブレルを使用して、今までの薬剤とは全く治療効果が異なる薬に感動し、「やっと、患者様のお役にたつことができる」と思いました。
そして、ある偶然の機会から、同級生であるY先生(その頃は、松山赤十字病院・リウマチセンターにご勤務されていました)が、当院に2007年5月から月に1度外来をしていただけることになりました。それまで私が診ていた患者様もどんどん先生に診ていただき、いわゆる「日赤方式」と私が呼んでいる治療法を見せていただきました。
それは、発症早期から積極的にリウマトレックスを導入、また増量し、症状の改善を図り、また、罹病年齢の長い方にも積極的に疾患活動性の低下を目指し、生物学的製剤の使用についても躊躇することなく、どんどん導入していきました。
その結果、今まで「こんなに進行したリウマチだから、この痛みや機能障害は仕方がない」と患者様自身も私自身も考えていた方が、どんどん機能が改善し、日常生活レベルが改善していくのを目の当たりにしました。残念ながら、2010年5月でY先生の外来は終了しましたが(ご開業のため)、同年7月からは、道後温泉病院のお二人の先生(大西 誠先生・澤田 直哉先生)に隔週(第1・第3金曜日)に外来をしていただき、現在に至っています。
一人でも多くの患者様の人生をよりよいものにするため、現在、当院では治療結果を分析し、それを次の治療へと生かすように日々地道なチーム医療を繰り返し行っております。
リウマチを患っておられる方も、リウマチであるか気になる方も、一度当院にご相談ください。